詩篇18篇

詩篇18篇46節
 「主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの神。」

 まだ小さかった頃、祖母も同居していて、家には仏壇がありました。そこには会ったことのない
祖父の写真が置かれていて、毎晩夕食の前に仏様にお供え物をするのが私の役目でした。
その「仏様」とは死んだ祖父のことで、祖父は死んでしまったけれど、お腹がすくかもしれないので
毎日ご飯を持っていっているのだ、と解釈していました。 先祖のお墓参りのときは、そのお墓の
下に眠っているご先祖たちが、何か自分の願い事を叶えてくれるかもしれない、と「〜しますように」
という願をかけていました。 神社やお寺に行けば、そこに奉られているであろう神様にお願いをして
いました。 今も私たちの多くはこのような偶像礼拝を何の疑いもなく続けています。
 本当の神は主ただお一人です。そしてその神は生きておられます。
 今日は教会で宣教カンファレンスがありました。私たちを教会に誘ってくれた誰か、救われるように
祈ってくれていた誰か、聖書を教えてくれた誰か、教会のチラシをポストに入れてくれていた誰か、
その誰かに今度が私たちがなりましょう、というメッセージでした。 神の御心は「すべての人が救われて真理を知るようになる」ことです。私は人を救うことはできません。それは神のなせる業です。
けれども、神を知らない人に福音を伝えることはできます。 どんなに小さい種であっても
いつか芽が出る可能性があります。 蒔かなければ決して芽は出ません。 まずは家族、友人の為に
引き続き救われるように祈っていきたいと思います。