詩篇81篇

詩篇81篇9節
 「あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。」

 これは十戒の最初にまず出てくる神の掟です。この主以外のものを神として拝んではいけない、と
 はっきり記されているにも関わらず、月日と共にこのことは忘れ去られ、人々は外国の神、偽者の
 神を拝むようになりました。私たち多くの日本人にとっては、仏教や神道などが馴染み深く、
 キリスト教こそ外国から来た宗教、神であるという認識が強くあります。ですから歴史的に見ても
 キリスト教は歓迎されるよりも弾圧される方が多かったし、今現在でもクリスチャン人口は日本の
 全人口の1パーセントにも満たない状況です。私自身、キリスト教というと外国から伝わったもの
 という意識が強くあったし、外国文化に対する憧れと同様に興味深いものであると同時に、得体の
 知れない恐ろしいものという印象もありました。しかし今となっては、この聖書の中の神こそが
 本当の神であり、その他すべての神と呼ばれるものは偽者であるという事実がはっきりとわかり
 ました。そして「宗教」というと人間が後から作り出した儀式などを連想しますが、私は「信仰」
 を持っているのだという意識が生まれました。教会に行くのも、お祈りをするのも、聖書を読む
 のも、「クリスチャンはそうするべき」だからやっているのではなく、心から主を信頼し、感謝し、
 愛しているから、いつも主と共に歩み、主の御言葉に触れていたいから自然と行えるのです。
 まだ信仰を持っていないまわりの家族や友人から見れば、「何でそんなに熱心に教会に行くの?」
 「そこまでするほど救いを求めてるの?」と言われます。実際、私も「宗教」にはまる人というのは
 満たされない、可哀想な人で、自分はそこまで悪い状況にはならないだろう、などと考えていました。
 しかし、人間は皆、「救い」が必要です。そして「本当の救い」をくださるのは、聖書の教える
 「神」お一人です。仏教などが根強く、まだキリスト教に対する偏見の強いこの日本で、福音を
 伝えるのは本当に難しいと思います。キリスト教と言いつつ、実際は聖書からかけ離れたカルト
 的な団体も多くあります。このような状況の中でも、私たちはすでに救われたクリスチャンとして
 福音を述べ伝える義務があります。主は、「すべての人が福音を聞き、救われること」を望んで
 おられるからです。どうか勇気を持って日々証しする生活が送れますように。。。。

  今日は母の日で、教会に私の母が来てくれました。ちょうど礼拝で、娘も私も特別賛美を捧げる
 ことになっていて、教会学校も母親参観日ということで、孫のクラスに顔を出してくれました。
 礼拝のメッセージの前に用事があって帰ってしまいましたが、少しでも来てくれて感謝でした。
 これからも頻繁に誘って、一緒に教会に行けるようにしていきたいです。そして彼女の救いを
 心から願って、お祈りしていきたいと思います。そしてもちろん他の家族や友人たちも積極的に
 お誘いしていきたいと思っています。たとえ何度拒まれてもめげません。皆のいのちが懸かって
 いるのですから。。。。