番外編・救いの証し

私がいかにしてイエスキリストを自分の救い主として信じたのか、書いておきたいと思います。

私は幼い頃、祖母が同居していて、祖父はお仏壇の中にいて、毎日夕飯の時間になると
祖父にお供え物を持っていくのが習慣になっていました。叔母が亡くなったときや、母方の
祖母が亡くなったとき、定期的なお墓参りなどを通して、人間は死ぬと仏になる、という
漠然とした考え、それでも神様という存在も確かにあるはずだという気持ちもあり、
この世の中に多々ある宗教や神々はそれぞれが信じるものであり、自分に神が必要であるとは
考えていませんでした。
 中学校になり、ミッションスクールに入りました。初めてお祈りや聖書に触れましたが、
自分が信仰を持とうとは思わず、定期的なミサでのお話も良いものでしたし、シスターたちの
献身的な働きは素晴らしいと思いましたが、自分が求めているものとは違うと感じていました。
 
 社会人になり、憧れていた海外生活を実践するために、アメリカの高校で1年間日本語を教える
インターンシップに参加しました。そこである男性に出会い、結婚しました。彼はクリスチャンで、
彼の家族も敬虔なクリスチャンでしたが、私に改宗するようにとは言いませんでした。
私の住んでいたのはテネシー州で、いたる所に教会がある地域でした。教会がどのようなことを
教えているのか、よくは知らなかったし、夫が信じているものを知りたいという思いはありました。
また同じキリスト教でもどうしてこんなにも多くの違う宗派があるのかも疑問でした。
 結婚する前に彼の実家を訪問した時に、とても驚いたことがありました。当時7歳くらいだった
姪が、私が英語を読めるのかどうか試したくて、聖書を持ってきて、読んでみて、と言いました。
私は創世記の最初の数節を声に出して読みました。姪は、私が英語を読めると納得して、今度は
「じゃああなたは神様を信じてるの?」と聞いてきました。私は「いいえ」と答えました。
すると姪はとても驚いて、「じゃああなたは地獄に落ちてしまうじゃない!」と言いました。
私は聖書が何を教えているのかはっきり知らなかったし、いきなりそんな事を言われてびっくりして、
「きっと子供にわかりやすく教えるために、そういう風に教えているのだろう」と考えました。
大学時代の友人でお寺の息子がいたので、彼に仏教では死後どうなるのか聞いてみました。
「仏教では、すべての人が死んだら仏になる」という回答を得て、仏教は何て心の広い宗教だろう、
対してキリスト教は何て心の狭い宗教だろう、と思いました。
 近所に住む日本人の方が、日本人の牧師がしている日本語礼拝に誘ってくれて、参加できる時は
参加しました。そのうち、同じような国際結婚をしたカップルが一緒に教会に行こう、と誘って
くれて、しばらくいくつかの教会に行ってみました。素晴らしい音楽や、感動的な証しを聞きました。
説教も良い話だと思いましたが、まだ自分が信仰を持とうとは思いませんでした。でも何かそこに
動かしがたいもの、真理と呼べるべきものがあるような気がしていました。
 そのうちそのカップルが他州へ引越しすることになり、当時彼女は日本語礼拝で奏楽を担当して
いたので、彼女がいなくなると奏楽する人がいなくなる、という状況になりました。私はピアノを
弾くチャンスだと思い、快く奏楽を引き受けることになりました。そして毎週礼拝に出るように
なったのです。夫は日本語礼拝には来たがりませんでした。私は子供たちを連れて、毎週通いました。
そして証しや説教を通して、もっと聖書を知りたい、と思いました。聖書の勉強会をして欲しいと
提案して、友人宅で開催してもらいました。
 中高でも少しは勉強しましたが、実際に聖書を開くという機会はあまりなく、何よりも福音を
はっきりと聞いたことはありませんでした。福音とは、「神の子であるイエスキリストが私達の
罪を赦すために十字架に架かって死んでくださり、3日目によみがえった」ということです。
これを信じて救われると、罪は赦されて、永遠のいのちを持つというのです。
 頭では何となく理解できましたが、それを信じることはなかなかできませんでした。何よりも
友人に、「イエスさまはあなたの罪のために死んでくださったのよ」と言われても、自分の罪とは
何なのか?私は罪人なんかじゃない!という思いがあり、よく理解できませんでした。
 それでも奏楽をするという責任感もあり、毎週とにかく通い続けました。結婚生活は悪い方向へ
向いていて、私は夫のことはほとんど考えずに仕事をこなし、日曜には教会へ行くという生活を
送っていました。最初は一緒に地元の教会に行っていたりもしましたが、次第に夫は教会へ行かなく
なりました。そして一般的に考えても良くないと思える仕事を始めました。夫婦生活は破綻して、
私はどうしたらよいのかわからなくなりました。
 そんな時、珍しくサンフランシスコに出張する機会が与えられました。ちょうど日本から三浦綾子
塩狩峠」を送ってもらっていたので、飛行機の中で読みました。すると涙が溢れてとまりません。
隣りの男性はさぞびっくりしたことでしょう。私は初めて、自分の「罪」というものが理解できました。
自分の夫に対する傲慢さに気づかされ、出張から帰ってから早速彼に謝罪しました。それでも
私達の関係は元に戻らず、もう別れるしかない、という思いで弁護士に会いにいきました。
 クリスマスが近くなり、久しぶりに地元の教会に行くと、クリスマスの賛美をしていました。
それはなぜか私の心に強く響いて、涙が止まりませんでした。説教のあとに招きがあり、いつもは
決して前に出ようとは思わなかったのに、その時は自然に前に出ることができました。そして、
ついに、イエスキリストを自分の救い主として信じる、とこの口で告白したのです!
 その後の高揚した気分は素晴らしかったです。何か不思議な力が私を押し上げているような、
そんな感じでした。当時一人で通っていたカウンセリングでも、カウンセラーに信仰告白をした
ことを告げて共に喜びました。日本人教会の牧師に、日本に帰国する前に浸礼を授けて欲しいと
申し出ました。少しでも信仰をしっかり持っておきたいと願ったからです。
 日本に一時帰国することはかなり前から決まっていましたが、そこで夫にだけ先に帰ってもらい、
私と子供たちは残るという計画を立てました。アメリカで生活するには経済的にも無理な状態でした。
もちろんその計画を夫に話せば絶対反対するでしょうから、彼には黙っていました。そしてその計画を
実行しました。今でもそれが本当に正しかったことなのか自分でもわかりません。ただ言えることは、
あのままアメリカに帰っていたら最悪の事態になっていたことは想像がつきます。
 日本に帰ってきて、実家のすぐ近くにバプテスト教会があることは前から知っていたので早速
クリスマス礼拝から通い始めました。アメリカでは急いで浸礼を受けたこともあり、まだしっかりと
聖書を理解していませんでしたが、この教会で入門クラスから始め、ようやく聖書についてじっくりと
学ぶ機会が与えられました。そして2008年10月に改めてバプテスマを受け、教会員となりました。
それからは教会学校の教師のご奉仕などをさせて頂いています。
 救いの偉大さをまだ自分は理解できていないのでは、と思います。神の愛の深さは人間には理解
できないほどですから、日々聖書を読んで、毎週礼拝に出席して、できるだけ理解したいと願って
います。すべては神様が与えてくださったものです。自分自身、家族、子供たち、友人、そして時間。
神は一人ひとりにご計画をお持ちであり、主のご計画は最善であると信じます。
自分の宙ぶらりんな状態に対して自己憐憫に陥ることもできますが、私は自分が不幸だとは思いません。
こんなにも主に愛され、家族と共にいられ、仕事が与えられ、健康でいられることに感謝です。
夫に対してどうするべきなのか、まだわかりません。自分の中では願いはありますが、それが主の
御心に叶っているのかはわかりません。主の御心がなりますようにと日々祈っています。
 子供たちは、教会に育ててもらっているような感じです。かつてアブラハム・リンカーンの母は
息子に、「立身出世は望みません。ただ聖書の教えに堅く立った人になりなさい」と伝えたそうです。
全然足りない母親ですが、子供たちには本当に大切なことは何か、知って欲しいと願っています。
 そして今までの様々な試練を通して、神様が私を救いに導いてくださったことに心から感謝しています!
神様は私を砕いてくださり、自分の力ではどうにもならないことがあることを教えてくださいました。
自分の罪深い性質を示してくださいました。まだまだ弱い者ですが、この世にいる間は、何をするにも
主の栄光があらわされるように、イエス様の証しをする者でありたいと願います。
 パウロのように、福音を恥とせず、大胆に家族・友人に語っていける者でありたいです。神はすべての
人が真理を知り、救われることを望んでおられます。例え疎まれても、私は福音を伝えることをやめるつもりは
ありません。一人でも多くの人が救われるべきであり、福音を伝えないことは彼らを永遠の滅びへと
向かわせること、見殺しにすることです。この世はサタンの支配下にあり、サタンは人間を神から遠ざけようと
あらゆる手段を使ってきます。何に頼ればよいのかわからずに平安のない人が何と多いことでしょう!
本当に頼るべきお方は、決して変わることのない生ける神、ただお一人です。 私はキリストの戦士として
ここに遣わされていて、日々証しをするために生かされています。すべてをご存知で、すべてを最善に
導いてくださる主に心から感謝いたします!!