創世記39章

創世記39章23節
 「監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。
  それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させて
  くださったからである。」

  ヨセフについては、「主が彼とともにおられたので」が何回も使われています。
  自動的に主が彼とともにいたのではなく、ヨセフがいつも主とともにいようとして
  いたのです。私もいつも主を自分の前においているでしょうか。すべては主の御計画
  だということを本当に理解しているのでしょうか。主の計り知れない愛の深さを
  日々感謝しているでしょうか。どうかいつも主ともとにある者でありますように!
  Praise the Lord!!