箴言6章
箴言6章16節から19節
「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、
悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。」
高慢な心は主の忌み嫌われるものとして真っ先にあげられています。クリスチャンの美徳は
謙遜さにあるといっても過言ではないでしょう。けれども高慢さはなかなか消し去ることの
できない厄介な人間の性質です。いつの間にか主ではなく、自分の力を頼ろうとしている、
そういう事が度々あります。
先日の婦人会の後の愛餐で、ある婦人と話していました。彼女はクリスチャン歴もはるかに
長く、教会学校の教師としてもかなりの経験を持っているベテランでした。話が、どのように
教会学校でのメッセージの準備をしているか、ということになり、彼女曰く、最近になって
ようやく分かったことは、まず主が自分を通して何を生徒たちにお語りになろうとしているのか、
それを教えてください、とまず主に祈ることから始めることが大切だ、とおっしゃっていました。
するとその隣りに座っていたもう一人の方が、その方も教会学校の教師なのですが、自分は
ずっとそれをやっている、もう自分はお手上げの状態だから、イエス様に両手を広げて、教えて
くださいってお願いするしかないのです、とおっしゃいました。 私はまだ新米教師で、
メッセージも数えるほどしかしていませんが、それでも毎回どうしたらよいのか迷っていました。
でもこの先輩方のお話を聞いて、ああ、本当にそうするしかないな、と思いました。それが
主に委ねるということなんだな、と。頭ではわかっていても、なかなか実行するのは難しいです。
でも主が彼女たちを通して道筋を教えてくださったことに本当に感謝です!!